lasanta らさんた
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ら・さんた誕生物語

第1章 幼いころの思い

 私の家は、兼業農家でした。父は大工、母は、はた織工場勤務のかたわら、農業(畑・田んぼ)そして、養蚕を営んでおりました。私は、幼稚園には上がらず、小さいころから家の手伝いをさせられ、小学校に入学してからも、「脱穀が忙しいから、2校時で帰って来い。」と、学校に電話がかかってくるくらい、貧乏暇なしの家庭でした。
 学校でこそ、誉められることはなかった、家の手伝いや他の家に行って、手伝いをするとよく誉められた。それが、うれしくて、人の手伝いを喜んでするようになりました。その時、いっぷく(休憩)にでるのがパンで、私にとっては、すご~い、ごちそうでした。また、いっぷぐの買い出しを頼まれ、お店に行くのも楽しみのひとつでした。

 小さい頃の想い……「お店屋さんって、いいなぁ。いつも、パン食べられるもんなっ。」

親への感謝  昭和47年 小学校三年生の私
この時、歌謡界では、ちあきなおみさんの喝采がレコード大賞受賞

 

第2章 仕事の原点と自営業へのあこがれ

 みなさんに、お話しするとびっくりされるのですが、私は、工業高校を卒業して、すぐに、市内の会社に就職し、7年間鋳物関係の仕事をしておりました。今思えば、そこで、学んだことが今の仕事に対しての原点となっています。それは、個人差がハッキリとでる仕事、特殊な砂を固めてつくる職人技、鉄の固まりを検査する仕事でしたから、、時間と品質の良さが問われる厳しい職場でした。私は、運良くすばらしい職人(先輩)のもとで仕事ができたことに、今でも感謝しております。
 先輩の言葉、仕事は、(次の工程の人に)迷惑をかけるな!喜ぶことをしろ!」小さい頃から誉められること(評価される)が好きな私は、自然と「良い仕事をしよう。」という思いが、芽生えてきました。

先輩への感謝   1983年 20才の私
この時代、おしんブーム。東京ディズニーランドオープン。

 

第3章 パンとの出会い 人への感謝

 サラリーマン時代、いつもパン屋さんの隣を通り、あの、なんともいえない美味しそうなパンの焼き上がった匂いをかぎながら、毎日通勤していました。そして、いつしか、パンの販売の仕事をしたい!と思うようになっていました。ある時、そのパン屋さんに面接に行ってみたが断られ、普通のサラリーマンを続けていました。
 その後、縁あって別なパン屋さんに勤めることになりました。そこは、自分の車を使ってパンの移動販売をする仕事で、完全歩合制でした。やったらやった分収入になるが、リスクも多い仕事でした。仕事を始めて、3ヶ月が経った頃、車が壊れてしまって、車を買おうか?買うとしたら何がいいか?と悩んでいた時、決断したのは、ある人からのアドバイスでした。
 「あなたは、大きくなる人です。今は、大変でも大きい車を買って仕事をしたほうがいい。もし、小さい中古の車(軽自動車)を買ってしまったら、小さい仕事しかできませんね。」 悩んだ末、新車のマツダボンゴを購入し、それからは、仕事を夢中でしました。

人への感謝  1991年6月 29才の私

 

第4章 人との出会い

 車を変えてから、お客様に、「車、大きくなって儲がってんない!」
そう言われた時、「おかげさまでがんばってます!!」と明るく答えていると、いつしか、“頑張っているパン屋さん”と言われるようになっていました。小さい時からの癖で、誉められるとツイツイ頑張ってしまう私は、いつのまにか営業所で成績トップとなり、全国レベルでもトップクラスになっていました。

 年も押し迫ったある雪の降る日の出来事。
 小学校の先生方へ、パンの販売に行く約束していた時のことでした。その日は、午後から猛吹雪となり、行こうかそれとも、このまま帰ろうか悩んだ。「こんな時、先生も早く帰って待っていないよな。」と自分なりに解釈して、結局そのまま、寄らずに帰ってしまいました。冬休み明け、昨年のことを、すっかり忘れていた私は、いつもの様にお伺いしました。と、その時、ある先生が静かな声で、淡々と私に話をしてくれました。

 「パン屋さん、この前、来なかったね。菊池先生ずっと待ってたわよ。」 「あの日、教頭先生をはじめ、みんな言ったのよ。菊池先生、パン屋さんは、今日は来ないと思うよ。こんな雪が降っている時、来るはずないって!そう、私達は、言ったんだけど、菊池先生は、“あのパン屋さんは、絶対来ますよ”と言って、待っていたのよ。」 私は、その時、あまりにも自分のやってしまったことが、商売をしていく上でやってはいけない事だったと知り、謝る言葉すら出せず、ポカッと口をあけたまま、次から次と話をして下さる先生を見ていました。

 そして、菊池先生が、職員室に入ってきました。私は、頭を深々と下げ、心から謝るしかできませんでした。「いいのよ。」と、いつもの笑顔で言って下さった先生。その時、私は、とても複雑な心境でした。本当に申し訳なかった。更に、過信していたこと。おごり。パンを販売して、何を大切にしなくてはいけないかを気付かされました。

そして、帰りの車の中で涙が止まらなかった。
「私を信じてくれた菊池先生、ありがとう!」涙で、前が見えないくらい泣いた。

お客さまへの感謝 1992年 30才の私

 

第5章 楽しくなければ、仕事ではない!

 仕事を始めてから、2年が過ぎた夏のこと。

 仕事に矛盾を感じ始めた頃でした。安いものをいっぱい販売する商売がよいか?それとも、良いものを真心込めて販売する方が良いか!?(当然、安くて良いものが1番良いのだが…・・)

 商売は、商品の値段で販売するのではない。
  生きたサービス! 
  お客様と、もっとキャッチボール(コミュケーション)ができる販売!
  もっと、お客様と情報を共有するには?
 
 つくる人・売る人・買う人が楽しくなくてはならない。
  楽しければ、こころが踊る!
  楽しいければ、明日への希望が生まれる!
  楽しいところには、清らかな流れ(空気)がある!
  仕事は、“楽だけどつまらない”より、
  “大変かもしれないけれど、楽しい仕事”がしたい!
思いは、だんだん強くなってきました。

 将来、自分の息子に、
   「お父さんの仕事、やってみないか!」
   「お父さんの会社に、就職してみないか!」と、
自信を持って言える仕事をしたい!
 もし、自分の子供に食べさせるなら、「お父さんの会社のパンを食べなさい。」と、自信を持って言えるパンを販売したい! 新しい形の会社をつくろう。

“明るく、元気に、いきいきと”の願いを込めて、
   花と太陽とパンのマークの
   パンの宅配 ら・さんた が誕生!

 『私たちは、新しい形のパン屋です。

 新しい形の会社を作ろうと思ってから、2ヵ月後の1993年10月13日ら・さんたアーク21が誕生しました。

1993年 31才の私

 

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